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yuko's diary 6/6/23

Tuesday.

I walked to work.


There was no cancellation, no add on.

Everyone was on time, and everyone finished exam.

Wow.


A 76 year old saw my name, and said “kawaii” and one more Japanese-ish phrase.

I couldn’t figure it out, but that two phrase were what he leaned in Japan in 60s.

In 1967, anti-America citizen attacked him and almost killed him.

He had lots of stories.

My same year old father was attending protest in Tokyo in the same time.

He told us that he is still suffering from PTSD and nightmares.

He didn’t tell this, but could go to Vietnam from Japan.


I read a lot today.

Almost cried, no, cried three times.

Thank god I was wearing mask.

When the mother was very sick, her Korean friend came to help.

And everything she cooked was dished we served this little Korean cafe in Kyoto.

Herbal tea, and pine nut porridge...


We finished little past three, and waited till 4.

Dan found me at co-op.


Waited little bit to water.

It was hot day.

We heated up stew and had dinner.

Mets lost again.


火曜日。

歩いて仕事へ。

今日はキャンセルも追加もなくスムーズに進んでいった。

みんな時間通りに来るし、(閉所恐怖症などで)途中で止めることもなかった。

これは初めてかも。

76歳の患者さんが、わたしの名前を見て、

「カワイイデスネ」のあと、もうひとつ日本語らしきフレーズを言ったのだけれど、判別できず。

それは1960年代に福岡で教わった口説き文句とのこと。

反米派の日本人に暴行されて生死の境をさまよったとのこと。

他にもすごい話がいろいろある人だった。

同じ歳の父は、そのころ東京で安保運動に参加していたはずだ、と思いながら聞く。

まだ悪夢を見るし、PTSDがあると話していた。

もしかしたら、福岡からベトナムへ飛んだのかもしれない。


今日も読書を進める。

3回は泣きそうになった、というか泣いた。

マスクがありがたい。

後半に入ったけれど、ここからまたつらくなりそうで、明日、読めるだろうか。

病床の母のケアをしに、韓国人の友人が来て、韓国の薬膳を毎日つくる場面があるのだけれど、働いていた京都の韓国喫茶で出していたものばかりだった。

松の実のお粥、なつかしい~。

やっぱり体調を整えるために食べるものなんだ。

3時過ぎには終わったけれど、4時ごろまでしばらく待ってから切り上げる。

夫と連絡が入れ違って、コープでひろってもらった。

少し待ってから水やり。

しっかり暑くて汗をかいた。


残り物のビーフシチューを温めて晩ご飯に。

メッツは逆転負け。あーあ。

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